ハイブリッドパパの過去 ⇒ 今 ⇒ 未来を描く。Part2
中学校に入ると、
考えるまでもなく、野球部に入った。
小学校時代にお世話になっていた先輩も多く在籍していたので、
スムーズに馴染むことが出来た。
ただひとつ、
勇気が必要だったことがあった。
私が所属していた野球部には1つ決まりが、、、
それは、
部員は絶対髪型をボウズ頭にすること!!!
今まで、
坊主なんてしたことの無かった私にとっては、
かなりココロのハードルが高かったが、
まだ見ぬ将来の活躍を夢見て、
決意を固めた。
初めての坊主は、
父親にバリカンで断髪式を行ってもらった。
※ この記憶はある。
丸顔のため、
坊主頭にするとだいぶ幼く見えるが、
意外と気に入った。
肝心の野球の方は?というと、
1年時は、
ひたすら下積みだったが、
2年に上がると、
ぽつぽつ試合に出させてもらえるようになった。
しかし、
この辺りから自分の野球に対する限界を感じるようになっていた。
なぜだろうか?
小学校時代から県選抜として活躍していた同期のプレー、
全国レベルで活躍していた対戦相手のピッチャー。。。
試合を重ねれば重ねるほど。。。
相手のプレーを見れば見るほど、、、
自分の実力を悟った瞬間だった。
人生で初めてと言ってもよい挫折の瞬間だった。
この後の野球部での生活は惰性になっていたように思う。
練習中のランニングで、
歩いている姿を見られ退部通告されたこともあった。
肩の怪我をし、
出れるはずの試合に出れず、
結局、
レギュラーを奪われたまま、
私の野球人生は幕を閉じた。
なんとなく、
この挫折を経験するまでの十数年間、
プロ野球選手になるものだと思っていた自分にとっては、
虚しい感覚だけが残った。
中学3年の夏に野球部を引退してから、
なんとなく緊張の糸が切れ、親を心配させる言動に走った。
今思えば、
いわゆる、反抗期だったのだろうか?
制限がなくなった髪型は、
坊主頭からワックスで固めたツンツンヘアー(スーパーサイヤ人風)
中学生ながら髪の毛を染めたこともあった。
登校は、
カラーシャツを着て、
サンダル。
今考えると、
この頃の親の心配といったらなかったと思う。
学校が終わった放課後は、
ゲームセンター、ビリヤード、賭け事に走った。
夏休みも、
ひたすらボディーボードとサーフィンに明け暮れた。
そんな遊んでばかりの夏も終わり、
秋を迎えると、中学3年生は受験モードに入っていった。
こんな野球と遊びしかしてこなかった私の学校の成績は、
中の上。
っといったところ。
別に悪くもないけど、特別良いわけでもない。
親から、、、
学校の先生から、、、
「高校どこにいく?」 と聞かれても、
高校に行く目的が無かったので、
答えることが出来なかった。
どこに行きたいわけでもない、
何かをしたいわけでもない。。。
どうしたら良いかわからなかった。
そんな高校受験にモチベーションの湧かなかった私に、
モチベーションを最高潮にした、
ある3つの出来ごとが降りかかってきた。
Danganページビルダー - LP作成用WordPressプラグイン
コメントフォーム